前川進介の政治日記

議会報告 2023.1.2

長女と歩いた11km 〜子どもの「意見を表明して参加する権利」を考える〜

長女と歩いた11km

晴天に恵まれた昨年10月13日(木)、私は当時5歳の長女と二人で自宅のある山南町から柏原町のイタリアンレストランKUSU×KUSUに向けて11kmの遠足をスタートした。

いざ、出発!


事前に、こんな長距離を歩けるのかと長女に問うた際には

「うん、大丈夫やと思うで。だってな、私保育園からさくら公園まで遠足したことあるもん」

と答えていた。GoogleMapでその距離を測ると、片道わずか750m、往復1キロ半である。

無邪気だ。そしてあまりにもナイーヴだ。

さくら公園までの往復1キロ半の実績を根拠に、11kmも歩けると言う5歳児の言葉を鵜呑みにする私ではない。だってお父さんは市議会議員なんだよ?一時は「エビデンス小橋」と言われ過ぎて途中から「エビこば」と略されたほどエビデンスを大事にしている小橋議員と、お父さんは同じ会派を組んで日々ガチ議論をしているんだよ?

「エビまえ」 と言われるほどではないが、それでもお父さんのロジックを甘く見ちゃいけない。

いいかい、さくら公園までの道のりが「行楽」だとしたら、僕らがこれから歩こうとしている道のりは「苦行」なんだよ。そう、これは耐えることによって悟りを開く苦行なんだよ。

だから私は、エビデンスを過大に見積もった5歳の長女が早々にギブアップすると予想していた。「お父さん、私もうこれ以上歩けへんわ。」そんな弱音を吐く長女に、

「せやろ?さくら公園とはワケが違って、歩くの大変やったやろ。ほんなら普段から車で送ってもらっていることに、少しは感謝する気になったんちゃうか?」
「うん、お父さん、この前は偉そうなこと言うてごめんな。」
「いや、かまへんねん。わかってくれたらそれでええんや。」

と上から目線をかまし、自宅で待機していた妻に電話して、さっさと車で拾ってもらうつもりだった。これでお父さんも歩かずに済んで大助かり。

ひとまず山南町を出発し、途中冗談を言い合ったり、興味深い落とし物を発見したりしながら二人は歩いた。

「なんか落ちてるー」
「うん、そうだね、『新体操部・・・①』の存在が気になるね」




おしゃべりが楽しかったのか、落とし物に妙にウケたからなのか、大人たちの予想に反して彼女は歩いた。気がつけば氷上町と柏原町の境である稲畑まで歩いてきているではないか。もう8kmは歩いている。「行楽」レベルはとっくに過ぎている。

「なぁ、しんどくないの?」
と私が尋ねると、
「うん、全然平気やで。」
と言いながら、道端のお花を摘む余裕すら見せやがる。

正直、私は焦っていた。

なぜなら、実はこの時すでに私の足の方が悲鳴を上げていたからだ。5歳の娘に負けるはずがないと思っていた44歳のおじさんの足が、もう棒になりかけていた。

これは最悪の場合、長女は元気だけどお父さんのせいで完歩できず、という事態に陥るかもしれない。予めその可能性に触れておいた方がよいかと思い、彼女に伝えた。

「実はな、お父さんはもう足が痛くなってきてるねん。最後まで歩けるかわからんかも。」

すると、彼女から意外な答えが返って来た。

「実はな、私もさっきから足痛いねん!」

なんやねん!!!
お前、負けず嫌いで痩せ我慢しとったんかい!!!

お互いの痛みを共有した我々は、妙に親近感が湧いてきた。というか、自宅を出てからこの2時間、交通安全のためにほぼほぼ手を握り続けていたこともあって、我々親子二人には、これまでにない仲の良さが芽生え始めていた。5歳にもなったらそこまで手を握り続けることなんてないもんね。これは苦行の中の想定外副産物であった。

そうして、道路を比較的まっすぐ平坦にする工事真っ最中の萱刈峠を越え、柏原町に入ってから、ゴールのイタリアンレストランKUSU×KUSUまで3.4km続く「無慈悲ストレート」に入った。

この時すでに二人の足は八割方、棒。生きている心地が二割しか残っていない足を動かし、歩みを進めた。

黙っていると余りにも辛いものだから、お互い励まし合ったり笑い合ったりして歩いていたわけであるが、「無慈悲ストレート」の半ばで尻取りをやろうと言い出した長女が

「じゃぁ私から尻取りいくでー、ええかー、『レモ』!」

と、一瞬で尻取りを終わらせた事故は、やはり相当に疲れているんだろうと察するに余りあるミスであった。私が大好きなテニスでも、トーナメントも後半になると体力が奪われ、よく判断ミスをしてしまうから、なんとなくわかる。ラリーで組み立て主導権を奪ってから確実にポイントを取りにいきたいのに、もうしんどいもんだから、一か八かのパッシングショット1発でキメようとしてしまうのだ。

彼女の展開知らずのパッシングショット「レモ」もまた、体力が奪われたが故のミスであろう。

そこからさらに歩いて柏原警察署が見える位置まで来た頃に、続いて長女は「保育園の送り迎えの車の中でお母さんに教えてもらった」という「津軽海峡冬景色」を熱唱し始めたのだが、この選曲もまた判断ミスによるものだろう。(そもそもは妻の選曲ミスかもしれない)

そうして二人して足の痛みで顔を歪ませつつもゲラゲラ笑いながら、ようやく最初の目的地バレエスタジオに到着した。そう、実はこのバレエスタジオまで歩いてみることが、元々の話だったのだ。


スポーツドリンクを持って応援に駆けつけてくれた元塾の教え子とともに、バレエ教室の駐車場でパシャリ


「ありがとう」に辿り着きたくて

時を戻すこと約8ヶ月、令和4年2月のことである。私はこのバレエスタジオまで、長女を車で送っていた。彼女はその前の夏から毎週土曜日のお昼に、この柏原町にあるバレエ教室でバレエを習い始めたのだが、時代は思いっきりコロナ禍である。このバレエ教室では不織布のマスク着用が必須となっていた。

ところがこの日、車で送っている途中で長女が「マスク忘れた。」と言い出したのだ。

基本的に我が家の子どもたちは、保育園やバレエの準備など、自分でできる準備は自分ですることになっている。自立を促すためだ。例外的にファッションセンスが微塵もない長男(44歳)だけは、出張の際などに全ての衣類の準備を妻に依存しているわけであるが、典型的なダメ人間だ。だからせめて子どもたちにはこんな大人にならずに済むように、日々自立を促す関わりを心がけている。

そんな中で長女は、バレエの準備を怠っていたわけだ。まぁ人間にミスは付き物だから、忘れたこと自体は仕方あるまい。しかしながら、私は彼女の態度が気に食わなかった。マスクを忘れて取りに帰る手間をかけているのに、彼女は申し訳ないという謝罪の言葉はおろか、その雰囲気すら醸し出してこなかったのだ。

苛立った私は、

「お前、まさかバレエ教室まで送ってもろて当たり前やと思っとるんちゃうやろな?」

とドスを効かせて問うてみると、

「うん、当たり前やと思ってるで?」

とサラリと返事が返ってきた。

「お前、お父さんだって仕事したり勉強したりしたいのに、その時間を割いて送ってやってんねんぞ!そこにありがたみを感じとらんのやったら、お前一回バレエ教室まで歩いて行ってみろ!お父さんも付いて行ってやるから。」

「うん、わかった。」

「え、マジ?歩くん?大丈夫なん?」

「うん、大丈夫やと思うで。だってな、私保育園からさくら公園まで遠足したことあるもん。」

嫌がるかと思いきや、彼女は歩いてみたいという考えを持っていたので、それは尊重するというのが前川家の考え方だ。

勢い、我々父娘は共にバレエ教室まで歩くことで合意したわけだが、親として冷静に考えてみると、これまで過保護な関わりで成長の機会を奪っていたのかもしれない。

「可愛い子には旅をさせよ」と言うが、可愛くない私でも過去に辛い経験をした後には、何気ない日常がとても有り難いものだと感じられるようになった。日常が辛いものになってしまっては本末転倒かもしれないが、辛い経験や痛みを感じる瞬間は逆に人生を豊かにしてくれる

「ありがとう」が「有り難い」からきている言葉だとすると、バレエ教室まで車で送ることが当たり前になっている日常は、つまり「有り難い」の反対で「有り易い」わけだから、長女の車で送ってもらって当たり前という感覚は頷ける。

やはり、「有り難い」と思える経験があるから、心の底から「ありがとう」が出てくるようになるんだろう。


こうして、長女の「ありがとう」に辿り着きたくて、我々は痛みで顔を歪めながらもバレエスタジオまで歩いたのだ。



「自立」とは、甘えることから始まるのかもしれない

バレエスタジオまで歩いた父娘は、その先にあるイタリアンレストランKUSU×KUSUまで足を伸ばした。11km歩いて疲れた心身を、この店の料理と接客で癒してもらうのだ。

終着KUSU×KUSUにゴール!



このKUSU×KUSUには、しばしば家族でお世話になっている。料理が美味しいのはもちろん、臨機応変な接客をしてくれるから、幼子も連れて行きやすいことが有り難い。

おっと、ここでも出てきた「有り難い」。このレベルの料理と接客は「有り易い」わけじゃないことは経験してきているから、いつも食事した後は心からお礼が言える。

そんなKUSU×KUSUで待ち構えてくれていたのが、先ほどまで自宅で待機していた妻である。長い道のりを歩き切って疲労困憊なはずの長女だが、お母さんを見つけるなり駆け寄って抱き合っていた。

ここは自宅ではないが、その場はホームだった。いつもの美味しい食事に親切な接客、それにお父さんもお母さんもいる。長女にとって、そこは紛れもなくホームだった。

そう、ホームがあるから頑張れる。逆説的であるが、自立するためには依存が必要なのだ。いざとなったら甘えられる人、場所、コミュニティ、その存在があることを経験的に理解し、心の中に支えがある感覚を持った人から順に、自立に向かって歩み出す。そして何かあった時にはホームに戻り甘え癒され、そしてまた挑戦に向かって歩き出す。

それが、人が強くしなやかに生きていくメカニズムなのだ。

ホームの雰囲気だから、イカ墨パスタを食しても飾らない顔でいられる別日の次女 @KUSU×KUSU



KUSU×KUSUですっかり心身の疲労を回復した長女は、その後公園に遊びに行き、夕方にはピアノのレッスンを受けていた。一方で私は、翌日も、その翌日も筋肉痛に苦しめられた。結局、私の方が「苦行」だったのかもしれない。車の存在、ありがたいわい。



人が強くしなやかに生きていくメカニズム「自己肯定感ループ」

実はこの人が強くしなやかに生きていくメカニズムは、今から7年ほど前に精神科医の明橋大二先生から教わった。この概念のおかげで自分が過去に鬱になった理由もわかったし、我が子にどのように接していけばよいのかも理解できた。それ以来、私は「明橋チルドレン」(自称)となり、彼から多くを学んできた。

人が強くしなやかに生きていくための「自己肯定感ループ」



人間は、まずは甘えから始まる。生まれてすぐは一人では何もできないから、一般的には母親に甘えることになる。母乳を飲み、母の胸で眠り、安心を得るのだ。

そうして十分に甘えると、一方で不自由さを感じ始める。自由を求め、自分の意志で動き出す。そうして自立的に動き出すも、自立は時として不安を感じるもので、そんな時はまた、甘えるために親の元へ戻ってくる。心身ともに守られるホームだ。

そのホームでまた満たされると自立に向けて・・・と、このループを繰り返すことで、「自分の意志で挑戦できる」「いざとなったら甘えられる」と体験的に理解し、「自分には生きている価値があるんだ」と自己を肯定する感覚が育まれていくのだ。

これは子育ての話であるが、大人にだって当てはまらないだろうか。

よく偉業を成し遂げたスポーツ選手のインタビューで、「支えてくれた家族に感謝したいです」という言葉を聞くが、プライベートは晒され、成績を落とせば非難を浴びるような生活は、ホームの存在が必要不可欠だと感じる。しっかりと受け止めてもらえる家族の存在があるから、困難に耐えてでも挑戦できるのだ。

私もこの1年の政治活動を振り返ると、丹波市議会の中で子どもの自己肯定感を育むためのワーキンググループの立ち上げに始まり、6月には「こどもの権利に関する理念条例調査研究特別委員会」の発足、並びに委員長就任。そして夏以降は障害福祉の現状を問題視して市内外を奔走し、12月議会の一般質問でその構造的な問題を改善するよう指摘。以降は閉会中も障害福祉について議会委員会として調査研究ができる体制を整えた。

これだけ変化を促そうとすると、その変化を嫌う抵抗勢力から圧力を受けるのは世の常だ。今回は職員のみならず、医者からも圧力を受けた。こうした大きな権力に立ち向かうことは精神的にダメージがくるもので、時に不安を感じることもある。

そんな時、私は妻に甘える。話を聞いてもらい、共感を得る。たまには涙も流す(私が)。そうでもしてホームでリセットさせてもらわないと、敵だらけのアウェイの道なんて歩けるはずがない。

大人だってこのループに乗って生きていくんだ。



「過保護」は判断が難しいけど、意識しなきゃ

さて、今回の「苦行」によって、長女は車の「有り難さ」を身に沁みてわかったようだ。後半はマジで足が痛かったこと、それに疲労で頭がバグっていたこともあり、

「私、将来は車になって、足が痛い人を運んであげたい」

とヒト科を卒業する夢を語ってくれるほどだった。これでまた一つ成長できた。「ありがとう」が言える女に成長した。親として、それまでの「過保護」の枠を外せたとても充実した一日だった。

それにしても、「過保護」とは何だろう?

デジタル大辞泉によると

かほご【過保護】 
[名・形動]子供などに必要以上の保護を与えること。また、そのようにされること。また、そのさま。「―に育てられる」「―な親」

とある。必要以上の保護か。この「必要」の基準が難しい。


我が家は夫婦と3人の子どもの5人が2階の寝室で寝ている。できるだけ朝寝坊したい大人と違い、子どもたちは起床時間が早い。特に次女は就寝時刻が早い分起床時刻も早く、起きてすぐに下に降りたいとせがむことがある。

しかし2歳の次女には、一人での階段の昇り降りを許していない。と言うのも、今年の夏に一人で降りようとした際に階段から転げ落ちてケガをする事故を起こしたからだ。

それ以来は必ず親か長女と同伴で昇り降りをしているわけなんだが、これは過保護なんだろうか?必要以上の保護を与えているのだろうか?

確かに夏の事故以来、次女は一度も階段を踏み外したことはない。そして今は冬だ。大人はできるだけ布団から出たくない。早く下に降りたい次女と、ずーっと布団の中に居たい父母とのせめぎ合いも不毛だし、そろそろ一人で昇り降りしてもらおうか。

そう、この判断が難しい。保護しないとケガをするから、当然保護するわけだが、保護が過ぎると成長の機会を奪ってしまう。


そうして成長の機会を奪われた男がいる。長男(44歳)だ。

>ファッションセンスが微塵もない長男(44歳)だけは、出張の際などに全ての衣類の準備を妻に依存しているわけであるが、典型的なダメ人間だ。

と評された長男だが、実は彼、ファッションセンスという観点では過保護に育てられ、結果的にセンスが身に付かなかったのだ。

幼少の頃から、朝起きたら、その日に着る服はいつもママが用意してくれていた。2歳下の弟の服とともにきれいに畳んで置いてあり、彼らは着せ替え人形のようにパジャマからその洋服に着替えるだけだった。

自分で洋服を買うわけでもなく、タンスから出すわけでもなく、ただただママが用意してくれた服を着る。つまり、自分の頭で考えて選択する機会がなかったのだ。

しかもさらに残念なことに、彼のママにもファッションセンスがなかった。今のようにネットでオシャレなコーディネートとは何かを無料でゲットできる時代じゃない。だから彼は、そもそもオシャレな服やその組み合わせが何なのかなんて知らずに育っている。美しいものを見ずに育った人間が、美しさを表現できるようになるだろうか。

やはり美しさとは何かを教わり、自ら美しさを表現しようとトライアンドエラーを繰り返してこそ、人はその美しさに磨きをかけることができるのだ。その機会を奪われた成れの果てが、つまり私だ。

だから仕方なく、私よりオシャレな妻に出張パッケージをお世話になっている(と言うか、ファッションセンスのない私のコーディネートだと仕事に差し障りがあるのではないかと懸念してくれた妻がお世話してくれている)。

TPOに合わせたアドバイス付きの、ダメ人間長男用出張パッケージ
TPOに合わせたアドバイス付きの、ダメ人間用出張パッケージ



そんな父母から生まれた娘たちは、既に私よりセンスを身につけている。娘たちは1歳くらいから毎日自分で服を選んでいるのだ。オシャレの基本を母親から教わり、それからは全部自分で工夫している。もし仮に私が妻の子として人生をやり直しできたならば、40過ぎると『現代農業』に加え『LEON』も愛読する日々を送っていたかもしれない。

やはり、過保護は人の成長の機会を奪う。そしてループの依存から自立への移行を妨げ、自己肯定感が低調になってしまう。適切な保護と過保護の境界線を引くことは難しいが、過保護にならないように心がけることは重要だ。



「帰ってこいよ」なんて言わなくていい

我が家はできるだけ子どもたちの意見を尊重したいから、子どもの「したい!」はできるだけ実現させてやろうと考えている。この夏、次女がある水着をたいそう気に入り、その姿で保育園に行きたいと言い出した。常識的にはアウトかもしれないが、誰かの人権を侵害しているわけでもないなら、我が家的にはセーフだ。私は一般常識や世間体よりも子どもの思いを尊重したい。

娘たちが通っている保育園も水着通園を許してくれた。そんな寛大さだから、今のところ娘たちは伸び伸びと成長しているように感じている。

「みじゅぎでほいくえんにいくの!」



ここで、「さすがに水着では親が恥ずかしいから服に着替えなさい」と洋服に着せ替えてしまうと、これは「過干渉」な関わりなのかもしれない。

過干渉、それは過度に他人のことに立ち入って自分の意思に従わせようとする行為。過保護と同じく、過干渉な関わりもまたループの自立への移行を妨げる。他人の意向を押し付けられるようでは、自己肯定感が高まるはずないわな。

程度の大小はあれど、この過干渉な関わりを受け入れてしまうと、自分が自分でいられなくなってしまう。一度しかない人生なのに、一体誰の人生を生きるのか。

今から30年ほど前、中学生だった私はソフトテニスが強かった。少年野球ではパッとした成績は残せなかったが、テニスは私の性分に合ったんだろう。優秀な顧問の指導もあって、強いチームを作ることができた。おかげで高校は四国の強豪校からお誘いがあり、イケイケの私はそこに入学する気満々だった。

しかし国立大学理系学部に進学させたい親父の反対に遭って、柏原高校理数コースを受験するよう強制された。親父の強制力はハンパないから、しぶしぶ受験に備えて勉強を始めると、今度は担任の先生が「学力が足りないから理数コースは無理。普通コースにすべきだ。」と反対した。

って、おい!
俺を振り回すんじゃない!
俺の人生なんだから俺の意思を汲め!

理数コースを受けたいわけでもなければ普通コースを受けたいわけでもない。もっと言うと最終学歴を国立大学の理系学部にしたいわけでもない。自分の意志が通らない人生設計って、一体誰の人生なのか。

この時期は相当不貞腐れた。

結局私は柏原高校理数コースに進学したが、「女子にモテたい」という純粋な動機で理科や数学でハイスコアを狙い出したため、結果的にそれなりに充実した高校生活を送ることができた。しかしその一方で、四国の強豪校は高校3年生の時にインターハイなど数々の全国タイトルを総なめにした。もし私が希望通りその強豪校に進学していたら、今頃違った人生を歩んでいたかもしれない。

子ども一人ひとりに個性がある。その個性は親と全く同じなはずがない。だから個性を十分に発揮してその子らしい生き方をしてもらいたいなら、親や教員は過度に干渉すべきではないと私は考えている。

子どもに過干渉に関わってしまうと、結局自分の思いを言ったところで通じないじゃんと、自分の意見を言わなくなってしまう。そしてそのうち自分の意見を心の内に隠したまま、世間体に従って権力のある人や組織に迎合するようになる。それが常態化してくると、その表面的な自分を肯定する自分と、心の内にある本心とに自己矛盾を孕むようになり、一体自分が誰なのかわからなくなり、精神的に不安定になってしまう。

実際、言いたいことも言えない生き方で、大人になってから自己矛盾を抱え過ぎて鬱になる人を何人も見てきた。

その生き方がダメだとは言わないが、それで自分らしく生きられているのだろうか。緩和ケアの介護を長年勤め、数多くの患者を看取った著者が書いた書籍『死ぬ瞬間の5つの後悔』によると、死ぬ間際に感じる最も多い後悔は「自分に正直な人生を生きればよかった」というものらしい。

子どもがそういう後悔をしないように望むなら、過干渉は辞めた方がいいと、私は思う。

高校卒業と同時に都会へ出て行ってしまった?いいじゃない、それでその子らしい人生が送れるのであれば。子は親の所有物じゃないんだから、「帰ってこいよ」なんて言わなくていい。住む場所は人生設計において非常に重要な要素だ。それは本人が決めることであって、親が干渉するものじゃない。

この地に住む大人たちの仕事は「帰ってこいよ」と言うことではなく、「帰ってこいよ」と言ってもないのに続々と若者たちが帰ってくるまちに磨きあげることだろう。

そのためには、若者たちを尊重しなければならない。子どもや若者の意見を軽視することなく、しっかりと受け止め、その多様さに驚いたとしても、互いに認め合い、干渉しない地域社会にしていかなきゃならない。

そういやこんなことがあったな。再婚してからも前妻との間にできた息子2人の写真をスマホの待ち受け画面にしているのを見たある高齢女性が、私を叱りつけてきた。

「再婚したんだったらその写真は変えなさい!奥さんが嫌がるでしょ!」

やかましいわ。It’s not your business!

そう、これはmy businessであってyour businessではない。日本語では「余計なお世話」と言う。

これはありがちな嫌がらせなんだが、相手の立場に立った自分の主観を押し付けるのも辞めていただきたい。それは相手の気持ちじゃない、紛れもないあんたの気持ちなんだよ。待ち受け画面ごときで嫌がるような心の狭い妻ではないから、妻に対しても失礼だ。

こんな過干渉な人が多い地域から、人は逃げていく。逆に、主観と客観を分けて考え、その人らしい在り方を認め合える社会には、自ずと人が集まってくる。




子どもの「意見を表明し参加する権利」を重要視してくれない丹波市

『第3次 丹波市人権施策基本方針』



第3次 丹波市人権施策基本方針』の中で林市長は、

相手の価値観や生き方の違いを尊重し理解するという多様性が尊重される社会、偏見や憎悪ではなく、理解と共感があふれる社会の実現に取り組んでいかなければなりません。

『第3次 丹波市人権施策基本方針』



と述べている。その通りなんだよ貴婦人、自分の主観を押し付けるのはもう辞めてくれ。

しかしながらこの基本方針に書かれているその他の人権の内容は、私からすると前時代的発想で、物足りなさを感じている。

特に「子ども・若者の人権」において、国連が「子どもの権利条約」の中で謳っている4つの人権

「生きる権利」
「育つ権利」
「守られる権利」
「意見を表明し参加する権利」

のうち、「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」は記載があるものの、丹波市として「意見を表明し参加する権利」を守る記述が一切ないのだ。

つまり丹波市は、自己肯定感ループの左(依存)は保証するけど、右(自立)への移行は考えてないよ、という姿勢と言えよう。私が先ほどから問題視している「過保護」や「過干渉」を、市長は容認するつもりなんだろうか?そんなことでは子どもの自己肯定感は高まらないし、大人だって生きづらい地域社会になってしまう。

実際にこの夏、中学校の部活動合同チーム編成の際に、最終的に教職員でチーム編成を決めたのだが、その内容をしばらくの間生徒や保護者に伝えることすらしなかった事案があり、保護者から相談を受けたことがあった。詳しくはこちらのブログをご覧いただきたいが、これがまさに子どもの「意見を表明し参加する権利」という人権に関わることなのだ。この一連のプロセスにおいて「子どもの人権を守りぬく」という認識がもしなかったのだとすると、丹波市行政の人権意識は低いと言わざるを得ない。

ただ、一つフォローするとすれば、この「意見を表明し参加する権利」の認知度の低さゆえに、行政は意識できていなかったのかもしれない。と言うのも「意見を表明し参加する権利」は「自己決定権」に関連する権利であり、その「自己決定権」は憲法第十三条の「幸福追求権」を根拠に、社会の変化に伴い近年になってようやく保障されるようになった比較的新しい人権なのである。

そのため、まだ丹波市では認知していなかったのかもしれないが、でもそもそも市民の人権を守ることが行政の役割なんだから、認知できていなかったのであれば反省し、改めて人権について深く学んでいただきたい。この国の最高法規『日本国憲法』に全部書いてあるから。

そんなわけで、この基本方針に記載してある人権の捉え方や実際の行政運営が前時代的で、丹波市は「人権」という観点ではグローバルスタンダードからかなり遅れを取っているように感じる。市長、「最近では海外からも移住者がありー」とか、得意げに言うてる場合じゃない。人権分野の受け入れ態勢をすぐに整えるべきだ。

とにかく子どもについては、「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「意見を表明し参加する権利」という4つの権利全てを守りきり、自己肯定感ループを回す取り組みをしていかないと、丹波市の未来は明るくなんかならんだろう。

言い方を変えると、「子どもの自己肯定感を高めること=子どもの4つの権利を全て守ること」。行政はこの認識を持ったうえで、子育て施策に取り組んでいただきたい。



子どもの権利と大人の義務

ちなみに、前川家では権利と義務について幼少期から話をしている。特に来年から小学生になる長女には、入学前までに「小学校に通うことはあなたの権利であって義務ではないからね」と「義務教育」についての理解を促している。つまり、「義務教育」とは「小学校には絶対に行かねばならない」という子どもの義務だと誤解してほしくないのだ。

と言うのも、不登校率が過去最高に上がっている今日において、我が子が不登校にならないとは限らない。もし不登校になった時に、「小学校には絶対に行かねばならない」と誤解していると、「学校に行けていない私はダメなんだ」という不必要なダメージを受けかねない。

いや、そうじゃない。あくまでも普通教育を受ける権利の主体が子どもにあって、国や地方自治体、それに保護者がその義務を果たすよう制度が設計されている。だから不登校になった子どもがダメなんじゃない。不登校になったのであれば、その子に合った教育を提供できるよう努力義務を果たすべきは、行政や保護者だと私は考えている。

令和元年度10月には、不登校で家庭学習している児童生徒に対して、一定の要件を満たした場合は登校扱いにするという通知が文科省から出されており、昨年、丹波市でもその第一例目が認められた。学校に行けなくても出席扱いになるのだ。

我が子にはそれくらいの多様な発想で居てほしいから、あんたはほんまに小学校に通うのか?とよく問うのだが、その都度「それは私が一回学校に行ってから考える」と返答が来る。自分のことは自分で決める。It’s not your business!


また昨日元日は、私は朝から体調が優れず昼間は寝込んでいたのだが、夜になってようやく復調し、さて風呂に入るかどうしようかと私が悩んでいたら、長女から

「しんどかったらお風呂に入らなくていいし、しんどくないんだったらお風呂に入ってもいいし。それは貴方のことだから、貴方が決めな。じゃ、おやすみ。」

と自己決定を促された。

これは私の感覚でもそうなのだが、やはり普段から自己決定できる喜びを感じていたら、それを他者にも感じてもらいたくなる。だから私は親子の関係でも上司部下の関係でも、従いたくないし従わせたくもない。それぞれ自分の人生なんだから、自分の判断で決めようよ。そういう自己決定できる喜びを、一人でも多くの人と共有したいのだ。


ちなみにちなみに、そうやって子どもの権利を認めようとか言うと、中には「子どもを甘やかしたらいかん!」という声も出てくるようだが、考えてみてほしい。子どもの「意見を表明して参加する権利」を守った結果、5歳の女の子が11kmも歩くことになったのだが、これは甘やかしたことになるんだろうか?お父さんだって辛かったんだぞ(いや、お父さんの方が辛かったのだ)。子どもの権利を尊重することと子どもを甘やかすことは、明らかに別次元の話である。



自己肯定感を育む『子育てハッピーアドバイス』著者の明橋先生が来られるよ!

さて、「こどもの権利に関する理念条例調査研究特別委員会」の委員長としては、これまでお伝えしてきた、人が強くしなやかに生きていくメカニズム「自己肯定感ループ」を回すこと、特に過保護・過干渉を防いで子どもの「意見を表明し参加する権利」を尊重することを、一人でも多くの市民の皆さんと共有したいと考えている。

そして、キッカケはこどもの自己肯定感や人権かもしれないが、最終的には丹波市民全体の人権意識が高まり、市外からもどんどん人が集まる地域社会になればいいと考えているのだ。

しかし、そんな思いを「明橋チルドレン」の私がお伝えしたところで、説得力に欠ける。人気がないからそもそも人が集まらない。

じゃぁどうする?

「明橋チルドレン」でダメなら、明橋大二本人ならどうだおりゃー!

というわけで、私の師匠である明橋大二先生をお招きし、明橋先生から直接皆さんに語りかけていただく会を企画した。『子育てハッピーアドバイス』シリーズ累計500万部の著者で、業界では名の知れた有名人。その分かりやすいお話から、ママさんにも大人気。そこに嫉妬はするが、丹波市の子どもの権利を守るために、背に腹は変えられぬ。

市議会主催で、講演会やります!

●日時:令和5年2月4日(土) 13:00〜16:00
●場所:丹波市立やまなみホール
●参加費:無料
●申込方法:住所、氏名、年齢、電話番号を、
      メール(gikai@city.tamba.lg.jp) か FAX(0795-82-1523)にて


ここまで、イベントの告知にしては少々長かったかもしれないが、このブログで言いたいことを一言で述べると、

「まずはこの講演会に来てね!」

ということだ。

この講演会に来てくださった市民の方々と、子どもの権利に関する条例について対話を深めたいという願いを持っているからだ。市民総出で、子どもたちの権利を守っていく、そんな気運を高めたい。

我々大人が過保護や過干渉という人権侵害から子どもたちを守り、「帰ってこいよ」と言ってもないのにどんどん若者が集まってくる、そんな地域社会を創ろうではないか。
私には、そのビジョンが見えている。

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