前川進介の政治日記

議会報告 2022.7.19

今の混沌は、子どもたちの人権を守ることで初めて整う

「暴力反対」と叫んだところで暴力は無くならない

7月8日、遊説中の安倍元首相が撃たれ、亡くなられました。

それに対してメディアでは、「民主主義を否定する暴挙」や「民主主義への攻撃」などと報じ、今回の事件を強く非難しています。もちろん私も、政治家の言論をこのような暴力で押さえつける行為に恐れと怒りを感じますし、絶対に許してはならない行為だと思っています。

しかしながら、「暴力反対」などと声高に叫んだところで、世の中からこのような暴力がなくなるとは思えません。ただ暴力に反対するだけではなく、そもそもなぜこのような悲惨な事件が起きてしまったのか、その本質を見極める必要を感じています。

今回現行犯逮捕された容疑者に限らず、人はおぎゃーと生まれた時から誰かを殺めようとしているわけではなく、その生い立ちの中で人を殺すに至るまでの精神状態になっていったと考えるのが自然です。殺意って、そう簡単に抱けるものではありません。

だとすれば、このような事件を起こしてしまう犯罪者のこれまでの生い立ちに目を向けなければ、問題の本質を見誤ることになると考えています。


今回の容疑者は4歳の頃に父親が自殺。その後、母親が宗教に傾倒して宗教団体にお金を使い込んだ結果、兄弟は食べる物にも困る生活を強いられ、容疑者は県内屈指の名門高校に進学するも、大学には通えず。

さらに宗教団体への献金や行事参加は続き、一家は自己破産。借金苦からか兄が自殺。容疑者も海上自衛隊時代には自殺未遂をしたという報道もありました。

そういった経緯がある中で、当該宗教団体に近しい関係にあると思い込んだ安倍元総理に、彼がこれまで溜め込んでいた怒りや恨みの矛先を向けてしまったというのが、この事件の背景と言えましょうか。

もちろんまだ捜査中の事件であり、ことの詳細が明らかになるにはまだ時間がかかると思いますが、少なくとも、家庭が崩壊して殺意を抱くまでの精神状態に陥ってしまったということは、事実と言えそうです。


日本では憲法によって基本的人権の尊重が謳われていますが、この容疑者は人権を尊重された生い立ちだったのでしょうか。

人権、つまり「人が生命と自由を確保され、その人らしく生きるために尊重される権利」が満たされた人は、寛容で、他者の人権も尊重しようとします。しかし一方で彼のように、子どもの頃から人権が満たされない生活を強いられると自己肯定感は育まれず、やり場のない感情の矛先が自分や他人に向いてしまう悲劇が起こるのです。

このように家庭内で子どもの人権が守られず、他殺や自殺に至ってしまう事件は、何も今回のように宗教が絡んだ話だけではなく、過去を遡ると枚挙に遑がありません。




凶悪犯罪を振り返ってみても、家庭環境が遠因

昨日7/18で発生からちょうど3年になりますが、戦後最多の36人が死亡した「京都アニメーション放火殺人事件」に関しても、犯人の家庭環境は劣悪でした。5人家族でしたが、奔放な父親に愛想をつかした母親が、彼が小学校低学年の頃に家を出て父子家庭に。父親はネグレクトで子どもたちの面倒を見ず、生活が荒れ、学校では孤立。その後、事件発生までに被告以外の家族である父、兄、妹が皆自死を選んだということですから、相当にひどい環境だったと推察されます。

そんな彼(青葉)は、重度の火傷を負って入院した先の主治医(上田)とは信頼関係が構築できたようです。

青葉は、自分が厄介者扱いされていることに気づいていた。そして上田に、自分みたいな人間を治療してもなんのプラスにもならない、なぜ自分を守ってくれるのかと聞いた。
 

上田はこう答えた。
 

「目の前にいる患者を助けるのが僕らの仕事だ。バックグラウンドは関係ない。犯罪者でも政治家でも一緒や」
 

取り調べに堪えられる状態となり、11月中旬、青葉は京都第一赤十字病院に戻った。別れ際、上田は「おまえ、生きている価値がないって言っていたけど、俺と4ヵ月接して、少しは考えが変わったか」と問うた。
 

青葉はこう返した。
 

「変わらざるをえなかった。こんな『低の低』の自分にぶつかってくれる人が赤の他人でもいるんだって」
 
 

週プレNEWS 京アニ放火殺人事件容疑者に主治医・上田敬博が伝えたこと「俺はおまえに向き合う。絶対に逃げるな」



タラレバの話にはなってしまいますが、そうやって真正面から受け止めてくれる存在が家庭内にあれば、いや家庭外であったとしても凶行の前に出会うことができていれば、この事件は起きなかったのでしょう。



また2020年、福岡市の商業施設で面識のない女性を殺害した事件(福岡商業施設女性刺殺事件)で殺人などの罪に問われている当時15歳の少年も、家庭環境が劣悪でした。

まず父親が少年の兄を殴ったり蹴ったりする暴力をふるい、その兄のストレスの吐口となった少年は、兄から首を絞められるなどの暴力を受けてきたと言います。そしてそのストレスは家の外に吐き出され、少年は周囲の児童の首を絞めたり顔を叩いたりする暴力に発展していました。

また小3の時にADHD(注意欠如・多動症)と診断されてから、母親が少年に対して腫れものに触るような態度に変わったことで、「自分は期待されていない」と強く感じるようになったようです。そして小5から児童自立支援施設や少年院を転々とするようになります。

2020年8月に少年院を仮退院しましたが、その際、母親が受け入れを拒否しました。そして仮退院からわずか2日後、自殺願望のあった少年は自殺するために包丁を盗みましたが、商業施設で被害女性に遭遇。何も言わないでも自分が困っている状況を分かってくれるだろうと被害女性に包丁を向けると、自首を進める女性と自分の母親の姿が重なり、激昂して刺殺。

家庭での子どもの人権を侵害する関わりが、家庭の外の人を殺める結果となってしまいました。


この事件についての裁判員裁判は今月福岡地裁で開かれていています。以下、毎日新聞の記事です。


 被害者遺族の代理人弁護士も質問に立ち、少年に更生の意欲を問うと「多分、できないだろう。人は簡単に変われない。クズはクズのままだ」と打ち明けた。代理人弁護士は、少年が送致・移送された鹿児島家裁の少年審判で「1人ぐらい死んでも大したことない」「他人に関心が無かった」などと遺族の前で発言していたことも明かした。
 

  少年は現在、非行少年の立ち直りを支援するNPO法人の理事長と文通している。これについて、少年の弁護士から尋ねられると「今は他人に興味が持てるようになった」と述べた。
 

 

令和4年7月7日 毎日新聞



彼に必要なのは、罰なのでしょうか、治療なのでしょうか。

判決は25日に下されます。


これら世間を騒がせた事件に限らずとも、多くの犯罪事件において犯人は家庭内で虐待やネグレクトを受けている傾向があります。だから、少年院に入っている少年の更生のためには、本人に対する教育はもちろんのこと、院からは少年の改善更生を妨げている保護者に対しても指導・助言が行われます。

家庭環境が社会に及ぼす影響は、計り知れません。



親からの過干渉と暴力で抱いた殺意

さて、私の子ども時代を振り返ると、親父からは躾のつもり(?)でよく殴られていたので、真正面から受け止めてくれる存在とするには違和感がありました。

また両親からの過干渉な関わりが多かったのも嫌でしたね。例えば高校はソフトテニスの強い県外校に進学したかったのに、家から通える地元の高校でないとダメだと反対されました。まぁそれは経済的な理由も考えられるから仕方ないとしても、さらに柏原高校の理数コースと、高校のみならずコースまで親の意思で決められた時は、それは家計と関係ないじゃないかと本当に嫌でした。誰の人生やねん、と。

もちろん親のことは「好き」とか「頼りにしたい」とかいう気持ちもあったんですよ。でもこの暴力と過干渉さには相当苛立って反抗期には随分と反抗していましたし、今となっては本当に申し訳ないと思うけど、当時は2歳下の弟をボコって憂さを晴らしていました。幼少の頃は友だちにも乱暴なことしてたな・・

高校卒業後は晴れて親元を離れて存分に開放感を味わったわけですが、大学→就職を経て、幼少の頃から刷り込まれていた「お前は長男やから跡を継げ」という洗脳(?)によって2009年に丹波市にUターンしました。いや、「してしまいました」かな?

十何年も親元を離れて程よい良い距離感だったのに、一気に距離を縮めてしまったのが災いし、父親が創業した会社を事業承継する際に再燃。「お前はこれ(製品)さえ作っときゃ幸せになれるんや」と私の人生を勝手に決めつけるし、売上が過去最高を更新した時には「子は親を超えてはならぬ」とわけのわからない忠告を受けることもあって、とにかく子を支配しようとする関わりが目立ちました。「俺と親父は別人格なんだ」と反抗すると暴力沙汰になることもあり、フラストレーションが溜まるばかり。

そんな過干渉や暴力に苛まされている時に事業トラブルが起き、父子関係はさらに悪化。取り付く島のない私は堪えきれなくなって、2011年、33歳で鬱になって引きこもってしまいました。

「意見は聞かない、力で押さえつける。これは誰の人生だ?」
「そんなに攻撃するなら、最初から生まなければいいじゃないか」
「俺は一体なんのために生まれてきんだ」

自分の存在理由を見出せなくなった私は、怒りや悲しみ、恐怖、絶望など、様々なネガティブ感情に支配されて、感情がコントロールできなくなりました。感情がコントロールできないもんだから思考もおかしくなってしまっていて、その時、生まれて初めて人に殺意を抱きました。幸い、周囲の助けもあって他殺にも自殺にも至りませんでしたが、あの一線を越えた時の感覚は今でも覚えています。

今では鬱のメカニズムをある程度理解できていて、感情をコントロールして思考を歪ませない術を身につけています。それを妻子とも共有して、家族で鬱にならない平穏な生き方を実践しています。が、人は精神を病むと正常時では考えられないような判断を下してしまうことを、身をもって体験したことは事実です。



抜本的な対策は、子どもの人権を守ること

世間を騒がせた事件や私の未遂はどれも、「家庭内の暴力やネグレクト、過干渉などの、子どもに対する人権侵害が遠因で起きている」と言えます。だからこの他殺や自殺の社会問題を解決するための手立ては、まず家庭を整え、子どもの人権を守ることだと私は考えています。今の混沌は、子どもたちの人権を守ることで初めて整うのです。

子どもの人権をしっかり守ってやり、「私は生きていていいんだ」「こんな自分でも価値があるんだ」という自己肯定感を幼少の頃から獲得できた人生は、将来に渡って他殺や自殺を防ぎます。もちろん「死」までいかなくても、他人に対して過剰に攻撃的になったり、自分を責めて鬱や引きこもりになったりすることもなく、自分らしく強くしなやかに生きることができるようになります。

一方で、虐待を受けた子が親になると今度はその子どもへ虐待をしたり、ネグレクトで愛を与えられずに育った子どもが親になると、その子にまたネグレクトを繰り返したりするなど、子どもの人権を尊重できない「負の世代間連鎖」は起きやすいものです。

このように、子どもの人権を守って自己肯定感を育める家庭もあれば、なかなか負の世代間連鎖から抜け出せない家庭もあります。また自己肯定感を高める重要性やその関わり方を知ってはいても、それを実践するだけの余裕がないなど、各家庭によって子育て状況はかなり異なります。


だからこそ、子育てを「家庭の仕事」と各家庭の努力に委ねきるのではなく、国や地方自治体が積極的に関与し、政治の力で子どもの人権を守る道標を示すべきだと考えています。

世の中には、行政が施す「子育て支援」施策がいくつもありますが、ただ単に子育てを支援するのではなく、子どもの人権を守り抜くことを大きなビジョンに掲げたうえで子育てを支援していくことが(潜在的に)求められていると私は思います。

その点、同じ県内の明石市は子どもの人権にしっかり着目されています。明石市の施策からは、子どもに限らず、社会的弱者と言われる人たちの人権を守るという泉市長のビジョンが見えてきます。本当に素晴らしいと思います。

それを考えると今の丹波市からは、残念ながらそのビジョンが見えてこない。ビジョンなき施策で何を実現したいのかよくわからず、いろんな施策に形骸化が見られます。ビジョンがないこと、それがこの市の最大の問題でしょうね。

そんな経緯もあって、私は市議会議員になってから、市長や市当局には、ただ単に子育てを支援するのではなく、子どもの人権を守り、自己肯定感を育む子育てを支援していくべきだと再三にわたって訴え続けてきました。そして、子どもの人権を守る理念条例の制定や、子どもの人権が守られているかどうかをチェックする第三者機関の立ち上げなどを提案してきました。

が・・、暖簾に腕押し、糠に釘。この重要性がなかなか理解されなかったんですよね。



子どもの人権尊重を阻む、朱子学の影響

さて、私が鬱で狂気だった当時は父親に殺意を抱くほど憎んでいたわけですが、私の場合は歴史を学んだことが転換点となり、思いが変わりました

私の父に限らず、昭和に生きてきた人たちの多くは儒教思想、それも朱子学の影響を色濃く受けていて、家では父親が威厳を示してなんぼの価値観を持っています。だからつい子どもや女性に対して過干渉に関わってしまいがちなんでしょう。

ここでちょっと儒教、朱子学のおさらいを。

大雑把に言うと、儒教とは人間社会に序列を作り、その序列を守ることで社会秩序を保ちましょう、という孔子の教えです。孔子は「その序列の頂点で支配する者こそが道徳心を持つべきだ」としていましたが、弟子の朱熹が「道徳心は、その序列の下で支配される者こそが持つべきだ」と唱え改変した教えが朱子学です。朱子学は日本では江戸幕府によって広げられました。「支配される者こそが道徳心を持つべきだ」なんていう教えは徳川家からすると都合がよいですからね。

その代表的な序列は以下の3つ。

①男>女
②年上>年下(尊属>卑属)
③士>農>工>商>えた、ひにん



確かに、これら全ての序列を守れば表面上の社会秩序は保たれるでしょう。しかしながら、序列が下の人間は差別的に虐げられるわけですから、一人ひとりの人間が満足いく人生を送れるかというと、それはまた別の話です。また鬱屈した気持ちが溜まると百姓一揆などの反乱が起きますので、結局社会秩序が保てなくなります。だから孔子の教えはまだ良いとしても、朱熹よ、なんていう教えを広めたのだ。。


実際に、現代でも問題になっている男女差別や同和の部落差別も、元を辿ればこの朱子学の①③の影響が大いにあると考えられます。

そんな中で、「親子差別」とでも言うべきか、②年上>年下(尊属>卑属)は現代でも解決できずに根深く残っているんじゃないでしょうか。「親子差別」なんて聞き馴染みないと思います(そりゃそう、今私が作った言葉だから)が、父母・祖父母などの自分より前の世代の親族を「尊属」、子・孫など自分より後の世代の親族を「卑属」と呼ばせている時点で差別的ですよね。子や孫ってそんなに卑しい存在か?

また儒教では、家庭の中では子どもが自身の親を敬い支えるべきだという「孝」の道徳的概念があります。「親孝行」の「孝」ですね。社会一般的には「親孝行」は推奨されている振る舞いです。だけど、ちょっと注意も必要だと思っています。なぜなら朱子学においては、支配される者(子)こそが道徳心を持つべきとされていて、この考えだと親の暴走を許してしまうからです。

実際に、朱子学発祥の地である中国で生まれ育った人から、「孝」に関してこんな話を聞きました。「中国ではこんな言葉があります」と言いながら、おもむろに彼女が書いてくれたのは・・

中国人女性が書いてくれた「棒下出孝子」


「棒下出孝子」

この言葉は、「棒でしばけばしばくほど、親孝行な子に育つ」という意味で、「棒」が「鞭」に替わる言葉もあるそうです。これは行き過ぎた「躾」とでも言いましょうか、「孝」を求める親側の暴走と言えるでしょう。暴力やネグレクト、過干渉など、子どもの人権が守られない事態に発展すれば、やり場のない感情の矛先が自分や他人に向き、悲劇が起きてしまいます。
(でも中国では一人っ子政策の影響もあって、子どもを大切にするようになったらしいですよ)


さてここで私の話に戻します。事業承継した会社の売上を過去最高にした時に、「子は親を超えてはならぬ」という言葉が父親の口から出てきたことに、当時は非常に困惑したわけですが、朱子学の「孝」と照らし合わせると腑に落ちました。そして昭和を生きた男として、その教えを貫くことが彼なりの正義なんだとも理解しました。

で、どうして父親が「孝」の教えを持っているかというと、当然ながら祖父の影響でしょう。実際に父親は、「おじいちゃんに『カラスは白じゃ』と言われたら、『はい、白です』と答えるしかなかった」と、祖父の暴君ぶりを語っていましたから、結局私の父親も祖父から「親子差別」を受けてきた被害者なんですよね。そしてその祖父も曽祖父に支配された被害者で、、という具合に辿っていくと、最終的に江戸時代まで遡ることになるんじゃないかと、私の中では考えています。

このように、前川家では子どもの人権を尊重できない「負の世代間連鎖」があったのだと思います。実際私も鬱になって心理学や歴史を学ぶ前には、程度の差こそあれ、長男に手を上げたこともありましたから、恥ずかしながら私とて加害者なんです。

そう考えると、私に手を上げた父親も、そんな日本の歴史的な思想に影響を受けた被害者なんだと思え、もう彼を許すしかないと思いました。

また父親にも変化があって、なんでかよくわからんのですが、数年前から過干渉が減ったんですよ。だから今では一緒に酒を飲んでいても居心地が悪くならないんです。まさか父親とケンカもせずに酒を飲みながら語り合える日がくるなんてね。


それにしても、私は鬱になってそこから抜け出すために、必要に迫られてこうした歴史や心理学を学んだわけですが、おかげでそれまで知らなかった社会の統治システムが見えるようになりました。

それはあまりにも古くからある慣習でもあるから、社会ではそれを「普通」「当たり前」とみなしているけど、それが故に多くの人々を苦しめているんだとも気づきました。

実際に、日本において殺人事件のその過半数が家族間で発生しているという事実には納得しかありませんし、そんな社会の裏側に潜む因果を知ってしまった以上、この負の世代間連鎖を断ち切らなければならないと強く思い、今に至っています。




子どもの人権を尊重できない、政治の構造的な問題

そういう経緯があり、私は市議会議員になってから、市長や市当局に、子どもの人権を守り、自己肯定感を育む子育てを支援していくべきだと訴え続けてきました。しかしまぁ、先ほども申し上げた通り、暖簾に腕押し、糠に釘です。

なんというか、その重要性に関して理解すら示してもらっていない印象を受けています。

それは何も市長や管理職だけに言えることではなくて、市議会議員の反応も大差はないように感じました。我々丹波市議会議員の中で言うと、私以外で自己肯定感を育むことの重要性を理解し、市長に訴えておられたのは大西ひろ美議員のみでしたし。

男性だけど最年少議員の私と、(年齢は調べてないけど)女性の大西議員の2名だけが訴え、空回りしてきた政治の経過に、「なるほど」と思いませんか?

要はですね、子どもや女性の人権を軽視する朱子学の教えは、江戸〜明治〜大正〜昭和〜平成〜令和と、時代を遡るほど色濃く浸透しているわけですから、昭和のおじさんたちが多くいるコミュニティでこの発言をしても、感覚的に理解してもらいづらいんだと思うんです。

今でこそ子どもの意見や気持ちを受け止めたり、自分らしさを尊重したりする関わりが重要視されてきていますけど、私が知っている昭和は違いました。尊属など年上が決め、それに卑属など年下が従うのが当たり前。子は親に従うもの。後輩は先輩に従うもの。そんな時代を生きたなら、その感覚が染み付いていて「それの何が問題なの?」って感じになって自然でしょう。

例えば丹波市は今「帰ってこいよのまちづくり」を標榜しています。その政策の意図には十分賛同するし応援をしていますけど、私なら若者に対して上から目線で「帰ってこい」と命令形では言わないですし、ましてや全市的なキャッチコピーには使わないでしょうね。神は細部に宿ると言いますが、そういうところに昭和の雰囲気を感じるんです。

丹波市の場合、市長は68歳の男性、市議会議員20人の平均年齢は63歳で、女性は3人のみ。ま、これは丹波市に限った話ではありませんが、この国の政治家の大半は高齢男性です。これまで子どもの人権を守り抜く改革を政治の力で進められなかったのは、子どもに対して支配的な朱子学の教えが「当たり前」「普通」である昭和の雰囲気が、政界の中に充満していたからなんだと私は想像しています。

その昭和の感覚が悪いというわけではないですよ。昭和があって平成があって、そうした先人たちの努力の土台の上で、今令和の時代に生かされているのが私たちですから、むしろ感謝している部分は多々あります。ただ、なぜ殺人が起こるのか、なぜ自殺が増えるのか、死ぬまでいかなくともなぜ鬱で苦しむ人がこんなにも多いのか、令和の時代に起きているこうした社会問題について、昭和の感覚ではその謎を解くことが困難だろうとは思います。



丹波市議会は市当局や市民の皆さんを巻き込んで、子どもの人権を守ります

基本的に地方議会は、執行権を持つ市長や教育長が議会に議案を提案し、それを議会側が審査した後に可決か否決で議決して、また執行権者の下で事業が進められます。要するに議員には執行権がありません。

そんな枠組みの中で、議員としてどれだけ指摘、提案をしても、執行権者に子どもの人権を守る取り組みをなかなか進めてもらえずフラストレーションが溜まった私は、市長や教育長を口説くのを一旦諦めました。そして、条例制定に向けての議会への提案を、私がすることにしました。

実は、議員にも提案権があるのです。もちろん我々には人事権がないし予算も持っていないので、提案できる内容は限られてはいるんですけど、私が企てようとしているのは子どもの人権を守り抜くための理念を浸透させる発議ですから、それくらいの内容であれば議員にだって提案できるのです。

ただ、議員提案するにしても議会内に賛同者が必要ですし、そもそも他の議員たちが子どもの人権を守ることの必要性を感じてもらわなければ話になりません。

そこで今年1月より子育て支援を所管している民生産建常任委員会の有志7名で構成する「丹波市議会 子育て支援ワーキンググループ」なるものを立ち上げました。

そこでは、子どもの自己肯定感の育み方やその重要性、それに人権との関わりなどを勉強してきました。前述の通り、自己肯定感という言葉の概念を正しく言語化できているのは当初は大西議員だけでしたが、およそ半年に渡って行ってきたワーキンググループの勉強会によってメンバーの理解は深まり、子どもの人権を守る一つの手段として、条例制定を検討すべきだという機運が高まってきました。

そして時を同じくして国の動きもありました。6月15日にこども家庭庁の設置関連法案が可決され、2023年4月に新設されることが決定しました。また、日本国憲法や子どもの権利条約の精神に則り、子どもの人権を尊重する「こども基本法」も同時に成立し、各市町村においても子どもの権利を尊重する施策を講じる責務が明文化されました。

会期中のこの国の動きも後押しとなり、丹波市議会6月定例会にて、同WGのメンバーの賛同を得ながら私が議案提案し、全会一致で「こどもの権利に関する理念条例調査研究特別委員会」を設置するに至りました。

委員の数は10名で、委員長には議会最年少の私、副委員長には50代の小橋委員が就任しました。また丹波市議会の3人の女性議員は皆、この委員会に入ってくださいました。トラディショナルな昭和の雰囲気から、平成くらいまではアップデートできたろうか?(笑)

特別委員会設置に関する丹波新聞の記事



今後、当委員会では、丹波市の子どもの人権を守り抜くために理念条例が必要なのか、必要だとしたらどのような条例が相応しいのかを調査研究していきます。

そしてその調査研究に際しては、議会内部だけで議論して制定するつもりはありません。あくまでも子どもの権利を守る執行者は市当局であり、保護者です。従って市当局や市民も交えて、子どもの人権に関する知識を身につけ意識を高めていく取り組みも同時進行で行っていくつもりです。そうしないとせっかくの条例も形骸化してしまうでしょうから。

さぁ、これでやっとこさ、丹波市の子どもたちの人権を徹底的に守り抜く活動のスタートラインに立てたように思います。政治家になって1年半ですが、私が鬱になってから10年ちょっとかかっています。まぁまぁ長い年月がかかりましたが、ようやく暮らしやすい社会を創っていけそうな気がしていて、今は期待感を抱いています。



終わりに

冒頭にも述べた通り、安倍元首相が凶弾に倒れました。そしてこの世界を震撼させた事件から我々が学び、真っ先に取り組むべきは子どもの人権を守ることであり、今の混沌はそうして子どもたちの人権を守ることで初めて整うのだと、他の事件の背景や自らの経験も交えて書きました。

そして昭和のおじさんの感覚では解決は難しいと、ちょっと「昭和」をdisった感もありましたが、これに関しては昭和の人を一括りにはできなくて、やはり個人差がありますね。

実は昨日、私が関わっている手打ち蕎麦木琴にて「木琴音楽会」が開かれたんですが、その音楽会に、同じ丹波市議会議員の渡辺秀幸議員も参加され、加川良の「教訓Ⅰ」を熱唱されました。(加川良さんは、渡辺議員の大学軽音学部の先輩にあたるそう)

初めて聞いた歌でしたが、なんとええ歌!ええ歌詞!


教訓Ⅰ

作詞:上野暸・加川良
作曲:加川良

命はひとつ 人生は1回
だから命を捨てないようにね
あわてると つい フラフラと
御国のためなのと 言われるとね

青くなって しりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい


御国は俺たち死んだとて
ずっと後まで 残りますよね
失礼しましたで 終わるだけ
命のスペアは ありませんよ

青くなって しりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい


命を捨てて 男になれと
言われた時には 震えましょうよね
そうよ 私しゃ 女で結構
女の腐ったのでかまいませんよ

青くなって しりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい


死んで神様と言われるよりも
生きてバカだと言われましょうよね
きれいごと 並べられた時も
この命を捨てないようにね

青くなって しりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい




渡辺議員もこの歌もかっこよかった。

「教訓Ⅰ」を熱唱する渡辺議員(写真右)



私が生まれる前の昭和の時代は、今よりも全体主義だったろうと想像するんですが、そんな中で「全体」よりも「個」を、命を大切にしようぜというメッセージを叫んでいらっしゃったんですね。言葉尻には昭和の雰囲気を感じますが、「私は生きていていいんだ」「こんな自分でも価値があるんだ」という自己肯定感を高めるメッセージ性の強い歌詞だと感じました。

世論に流されず、逆に世に自分のメッセージを訴える、私も加川さんのように在りたいと思いました。


そんなわけで、これからも自分なりのビジョンを示して政治活動を進めていきたいと思っていますので、私の考え、ビジョンに賛同してくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひお声がけください。一緒に子どもたちの人権を守り抜き、明るい未来を創っていきましょう!


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